彼に見られてしまった「だらしない私」

彼は年下の男性で、私とは再婚を考えている間柄です。一般的に考えて、私の体験を「恥」と考える人は少ないかもしれません。ですが、相手の人となりによって「恥ずかしい」体験は幾つか思いつきます。まず、今でも当時(40歳くらいまで)の私はあまり衣服にお金をかけるような性分ではありませんでした。一方彼は作業服にも小さなシミ一つないスタイルで生きています。役職的に「こぎれいであること」は彼の流儀であり、私生活でもそれは変りません。一方、当時の私は、自宅で着る物などは幾つものシミを当然のようにくっつけて「洗って素材的に綺麗ならいい」くらいの感覚でしかありませんでした。勿論、人と合う時にはそれ相応の衣服を着用して出かけます。
ところがある日、仕事で疲れを感じていた彼が、思いがけず早朝に私の部屋に寄ったことがあったのです。彼は仕事で上の役職にあり、大手の会社の下で時間調整がとれにくく、とにかく日々時間に追われているので、会う約束はほぼ「突然」です。普段なかなか会えないだけに、彼の訪問はとても嬉しいのですが、会う一時間前に連絡がきたりなどが多いのが難点です。この時にも予想していなかったので、例によって私の着ていた服はシミだらけ、よく料理もするので、仕方ないのですが、後で「ごめんね」と謝られた時には、大変恥ずかしいという思いをしました。その場は強気で何も思っていない素振りをしましたが、
「あのとき、ほんとは会いたくなかったよね」と言われてしまったのです。彼なりに察知したに違いありません。彼の元奥さんは一日中掃除している様な人だったので、きっと部屋の空間も、衣服なども完璧だったに違いありません。彼から再度こんな風に思われたくなくて、その時にあった古い衣服はほぼ処理しました。彼に近づきたい、という思いは半端なく行動に表われます。これは「古い」衣服云々というのではなく、「きちんとした」自分をいつも大事にするようになりました。後々、これはライフスタイルに働きかけることとなっています。
それは自分に相応しい環境を自分で創り、高めていく、という意識革命だと思います。彼から教えてもらった幾つかは、自分自身への認識度を高める、ということに他なりません。具体的には、「私はしみったれた服を身につけていていいような女性ではない」ということです。
実際、彼は自分の持ち物でもう数年使い古したタオルを愛用しています。周囲の人が捨てて、と懇願しても「まだ使えるから」と言っているそうです。ここに彼の良さがあり、つまり何でも綺麗なもの、新品であることがよいのではなく、自分の管理下にあるものを「大事」に使う、丁寧に扱うという思考が大切です。これは多くの人がわかっていることではありますが、実際には気に入らなくなったらすぐに新たな物が欲しくなる、という「欲望」とうまく折り合いをつけていかねばなりません。今は、彼と同じいつも「こぎれい」であることを心がける生活を、私自身も手に入れています。